日本では技術力が評価されないのは当然かも
・海外のITエンジニアは日本に比べて評価が高い。
・日本は価格競争の中で戦うので技術力は評価されない。
それは当然である。
日本には資本主義があまり適用されない文化があるからだと、個人的には判断している。
私自身海外で6年間暮らしていて、日本を客観的に見るとそう感じて仕方がない。
日本の文化では「安くて良いもの」が嬉しいのである。
どんなに品質が良くても価格が高ければ、「その機能はなくてもよいか」と思い買うのをやめるのである。私自身も当然そのよな心理はある。コストパフォーマンスと言う洗脳なのだろうか。
価格競争は避けたい。
勝ち残るのは一人であり、そのひとりも無傷ではないのである。
日本の文化では資本主義は合わないのかもしれない。
社会に高い評価は求めずオールライフの大きな枠組みの中で、自身がやるべき事を考えた方が、より機能するのではないか。
返事が大きい人が褒められる
海外のサッカーコーチ?が来日して、日本の子供達に教えたらしいが、みんな元気よく「ハイ!」返事をする。
しかし、実際にミニゲームをしてみると、コーチの説明した内容が全く理解できていないとのこと。返事だけは良いと言う皮肉な結果だ。
(全てではないが)西洋では、コーチの指示に対して、子どもたちから質問責めにあう。
「こうなったら、どう動くの?」など、些細な質問もしてくるらしい。そして、ようやく全員が理解したらミニゲームにはいる。当然、ゲームでは監督の指示通り動くのである。
日本では、まずは元気に「ハイ」と返事をすること。子供の頃は、それだけで褒められたものだ。
我々は、そう言う教育を徹底的に受ける。納得いかず返事をしなければ、先生から殴られたりしたものだ。ドラマでもそのようなシーンがを見て、それが正しいと信じてしまうだろう。集合意識と言うのは強力である。
本当は自身が理解していなければ、徹底的に相手と話し合うことである。それが、日本の社会で言うコミュニケーション能力であると考える。
カウンセリングも同様である。まず、クライアントに関心をもつ。気になったところは質問したりして確認する。決して持空気を読んだりはしない。そもそも空気は読めるものではないからだ。見立てが間違えると、なかなか修正が難しくなる。相手に対して「あの人は●●な性格に違いない」と決めつけてしまうのである。
まずは、納得いくまで聞くこと。関心があれば、自然と質問したくなるものだ。
関心のある異性や有名人に対しては色々知りたいはずだ。
職場のコミュニケーションにおいても、気になったら質問することで解決していくと考える。
いま携わっている仕事、相手に関心を持つ事である。
やりたくない事をやるのであれば、関心など生じるわけがない。
人のものを欲しがると窮屈になる
タイトルのように、人がもっているもとの言うのは、物理的なものだけではなく、能力も同じこと。
本当に必要かと思うと、実は殆どがそうではないケースが多く感じる。
相手を操作や洗脳するには、【比較】させるのが良いと言われている。
ただ、自然と共に生きている民族に、人道支援だと言って、勝手に道路を作り、カッコいい車を走らせ、オシャレな服を着てみせる。
そして、相手は真面目に感じたら、しめたもんだ。
「あなたも、私達みたいになれますよ」
って仲間にしちゃえばいいのだ。
そう。みじめに感じさせさえばいいのだ。
だから、【何で?】と自分自身に一度疑ってみよう。その考え方、惨めさはどこから感じているのか?親に言われたのか?学校の先生か?教祖か?
意外に自分の価値観ではなく、人の価値観で生きているのとにきづく。
私も眠っている
会社にいると、「チャレンジ、チャレンジ」と前向きにやろうとしている。ごく普通の光景である。
私の身の回りの少なく見積もっても7割は、現状維持もしくは、チャレンジなんてしたくないようだ。
それは、嫌なことをやっているだけなのだが、それを意識にあげてしまうと、大変なことになるから、無意識に押し込もうとしている。
これを眠っている状態だと私は思う。
起きているが、本当の自分の心に従うのが怖い。生活ができなくなる。会社クビになっちゃう。
だから、目を覚まさない方が良い。
確かに歴史上、目が覚めた人と言われた人たちは、命を狙われたり、本当に命を落としたりしている。
とは言うものの私も眠っている仲間である。
ただ本当に眠っていてはいけない時が来れば目を覚ましていかないといけない。天災が起きた時は、目を覚まして避難しないといけないように。
まず、資格を取って何が変わったの?
このブログは、心理カウンセラーとしてではなく、SEの側面から書いていきたいと思っている。
現在はSEとして、客先でシステムを作ったり保守したり、たまには設計もしてたりする。
この業界も17年ぐらいになるのかと思う。
なぜ、心理カウンセラーになろうとしたと言うのは別のブログで詳しく書いているので、暇な時にでも見て頂きたい。
簡単に言うと、現場でハラスメント的な事を受け、メンバーや上司、そして私も体調を崩した事がカウンセラーになろうと思ったきっかけである。
カウンセラーになる前は、とにかく「耐える」事が大事であると信じてきた。そして、どんな状況でも、こちらに落ち度がなく理不尽な状況に置かれても、プロとして結果を出す事であると信じてきた。
心理学で言うブリーフシステムである。
一見、「プロとして当たり前じゃん」と思う人間もいるだろう。テレビやドラマ、小説などなどサクセスストーリーがそのようなものが多いだろう。だからそう思われても仕方がない。
しかし、どう考えても、無理なものは無理であることに気づいたのである。
その時に私の人生観も変わっていった。
大きく変わったのは、「体を壊すぐらいなら会社を辞める」が自分の中で信念となっていること。
私の場合、「うつ」だったので、休めば済む話であった。時間はかかるが。
しかし、物理的な面で体調を崩してしまった場合、リカバリーがうつと比較にならないだろう。そして取り返しのつかない状態になっても後の祭りだ。だったら会社を辞めるだろう。
会社を辞めたって、失業保険だってあるし、それからしっかり先の事を考えれば良いと思う。
あと、自分の中の完璧主義が崩壊しつつある。「しつつある」と言う表現にしたのは、仕事をしているとまだそう言う部分があって、自分自身を苦しめるところがあるなぁと感じるからである。
いずれにせよ、心理カウンセラーになって大きく変わったのは、
① 以前より物事を俯瞰して見えるようになった事である。
以前は、自分のミスではないのに、慌ててしまい、判断すらできなかった。
②自分を責める回数が減っていった事もある。
理解できな事は、お客さん相手でもちゃんと納得するまで聞けるようになった。
③ 相手とのゴールを共有することを考えられるようになった。
以前はとにかく波風立てずに、クレームがないようにと考えていたが、
お互いのゴールがどこかをしっかり考えて、質問できるようになった。
まだ、沢山あるだろうが、気づいたら増やしていきたいと思う。
副業から複業しようよ
昨年、国会で「副業しましょう」みたいなことを言っていました。
終身雇用がすでに崩壊している中、現在所属している会社に依存することは難しくなっています。会社によっては正社員だからといっても、退職金制度がないところも増えていますから、【正社員】と言うブランドだけで、契約社員とあまり変わらなくなってきました。
そして、東芝の問題から見ても既に倒産危機になるのは運命・宿命のように見えます。東芝社員の方は予想すらできなかったでしょう。運良く海外の企業から救済処置を受けられたとしても、社員のリストラは逃れられないでしょう。
経団連にある大企業だっていつ倒産するかわらないと言うことです。
私たちは今こそ【自立】する時がきたのではないでしょうか?
いきなり自立や事業を起こすと言うのはハードルが高いと思われるので、ぜひプチ起業をお勧めします。
私もそれを現在実施しています。仕事は複数もつことによってリスクも分散させることができます。私の場合、この仕事がメインと考えていますけどね。
会社にいながら副業は可能です。日本では「職業選択の自由」の中で副業は認められています。
今こそ本当にやりたかったことをちょこっとやってみたらいかがでしょうか。